〜幾分昔の話になるのだけど〜
少し老いた散歩犬が、木の棒を咥えながらこちらを見て歩みを止めた。
イイノミっケタ
とか、
ミセルダケ、アゲナ
みたいな顔をしていた。
私と年老いた散歩犬の間には1メートルくらいの小川が流れていた。水深15センチ。
私は思った。いいなぁ。と。次の瞬間身体が勝手に動いた。驚くことに私は川を飛び越えて、老犬から木の棒を奪っていた。木の棒を咥えて走る私。
老犬はこちらを潤んだ瞳で見つめるだけ。吠えたり鳴いたりすることはなかった。一羽のカラスが鳴いた声が耳に残っている。
あれから随分と月日が流れた。言わずもがな私の口には、まだその時の棒が挟まっている。
始めに噛んだ瞬間にじゅわっとしたあの感じは接着性の樹脂だったんだなと今では理解している。
理解しているし、後悔はしていない。こんなに、いい木の棒を噛み締めることが出来ているのだから。前開き以外の衣類なんて要りはしない。時にハクセキレイが止まる時だってある。こんにちは
好棒を手に入れた私も、だんだん人目が気になりだし孤立していった。
当時学生だった私は夏場でもマフラーを巻き口元を隠しては大汗をかいていた。昼食は人目につかない階段などを探し、ストローで啜れるものを摂取していた。啜るって字、又おおいな。多すぎだ。
そんなある日、視線を感じた。
その人は私の口元に木の棒が挟まっていることを気づきながら、その事に触れることはなかった。
春の鳥が鳴き、秋の鳥が首を竦めた。
タータンチェックのマフラーがぐにゃりと歪んでダリの絵みたいに見えた。
その時の僕は図書館で夏目漱石の坑夫を読んでは眠り読んでは眠りしていた。2時間かけて3行を読んでいた。
ちょうど眠りに落ちた時に口元に激痛が走った。
奪われたのだ。木の棒を。私の歯と共に。
その人は私を見てくれていた。私はその人に見られていた。その人に見られて私は存在した。私はその人を見た。
その人は私を見て、隙を伺い、奪った。
私の棒を奪った。私の歯を奪った。
私には歯がなかった。はふはふはふ
少し前に、《言わずもがな私の口には、まだその時の棒が挟まっている。》と私は書いた。
まだ挟まっている。しかし、私の棒は私の歯を連れて奪われた。
しかし、今でもその時の棒を私は感じる。ありありと感じる。こんなに現実的な幻覚があるのだろうか。
〜時は戻り〜
私は今でも咀嚼できる事なく抗夫を読んでは眠り理解できる事なく抗夫を読んでは眠り、現在172ページ!終わりは268ページ!残すとこ100ページを切りながら、なんて歯のないこと。
一体何年かけて読んでいるんだ?
そして何なんだこの文章は! 頑張れ浜岡七十八郎!
posted by 浜岡七十八郎 at 14:00| クアラルンプール ☀|
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日記
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