2019年08月31日

夏のスイスイマンス編集後記


何か思うところがあったり、なかったりは別にして一ヶ月間何かを書こうと思った一ヶ月が終わりました。お付き合いいただいたみなさまどうもありがとうございました。
少し自分なりの検証みたいなところもあったのですが、わかった!そうだったのだな!!!
みたいなこともなく、月日の流れは同じようだったように、私は思うのですが、読んでくださった人が、もしいたとして、浜岡七十八郎は変わったな!と思われるのならば、確かに、私は日々微々、微々で変わっていって、今では随分と遠くの岸辺に立っているのでしょう。なるほど。素晴らしい才覚と、その自覚がないのならば変わっていくのは当然のことで、なんだかよく分からないのですが、多くのことを思い出したりできて、しかも、毎日書きなさい!みたいな縛りでもなく思い立ったが吉日でよかったので、私にとってはよい日々で、ございました。もしも読んでくれた人がいたのなら、どうもありがとうございました。ありがとうございます。
お礼にと言っては何ですが、はさみ、みたいな糸くずがあったので、あなたにお見せします。
あなたの人生に多くの幸あれ!




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posted by 浜岡七十八郎 at 19:27| クアラルンプール ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏のスイスイマンスL浜岡かく語りき〜猫と太陽〜


問題
どちらが猫でどちらが太陽かな?

質問1、英語にすると3文字だ
A、◯
B、◯

質問2、丸い、または丸っこい
A、◯
B、◯

質問3、動く
A、◯
B、◯

質問4、ニャーと鳴くことがある
A、◯
B、×

質問5、辻希美と関係がある
A、△(不明)
B、◎

おしまい。


〈次回予告〉
夏のスイスイマンスもここまでとなりました。次回予告になるかわからないですが、編集後記を書くかどうかは未定です。

posted by 浜岡七十八郎 at 16:45| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月29日

夏のスイスイマンスJ浜岡かく語りき〜プレゼント〜


プレゼントをもらった
中をあけると
へびが入ってた・ぱくり

退院記念に
プレゼントもらった
中をあけると
またへびが入ってた・ぱくり

退院記念に
またプレゼントをもらった
中をあけると
へびがたくさん入ってた

へびは口をそろえて・・
ぱく・・・
ファーストラブをうたった

きれいなうたごえだなあ・ぱくり


退院記念に
プレゼントをもらった
中をあけると

私が入っていた
私は、
おびえた顔でこちらを見ている

私を見ている私は
へびになってしまったのか

からだをみてみると
偽善者の笑顔を湛えた
カメレオンが這いつくばっていた

春が来るよって言いながらまだまだ寒いでやんの
カメレオンは海を深くまでもぐって
水圧に目玉がぎょろりと飛び出してまったとさ。くわばらくわばら

おしまい



〈次回予告〉
暑さのぶり返しの今日この頃ですが、次回は【猫】か【太陽】について書かせていただく予定でおります。更新予定日は8月中です。よろしくお願いいたします。

posted by 浜岡七十八郎 at 13:43| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

夏のスイスイマンスJ浜岡かく語りき〜貯金〜


お恥ずかしい話ですが、私はお金を稼ぐ能力に加え、お金を蓄える能力がとても欠如していて、さらにはお金を使う能力には目を見張るものもあり、月の大半の日数にお金をもっていません。

そこで、貯金のあれこれ悲しい残高トホホ伝を書いていこうと筆を取りましたが、一度書いてみて、それを読み返して、本当に空しくなってしまい書き出しの部分だけを残して他の文言には行ってきてもらいました。行っちゃったねえ。じゅじゅじゅじゅ

お金を貯めてあれこれが欲しいという気持ちも今ではあんまりありません。

一昔前でしたら、靴がほしいなあなんて思った時期もありましたが、なんやかんやで今では靴も手にいれ、足をいれ、今では履いたりもしています。

そして、学生時代に買うか悩みながら気づけば売り切れてしまったあのTシャツは今でも手にいれたいと思い、ふとした折に探してみたりもするのですが、干支一回り以上前のTシャツがなかなか残っているものでもありません。

格言!買うかどうか迷ったTシャツは買うべきだ!もしも貯金があるのならば。

そして、現在に貯金があって何かDVDのBOXを買いなさいと棒をもった犬に手の甲を叩かれるならば『世紀末の詩』を買いたいものです。
どこかで売っているのかな。ごめんなさいね、くつしたさん。




余談!僕はお金に余裕があればブーツに油を塗りたいと思っていました。 そして、油の購入に成功し、時にブーツに油を塗ったりして、そんな日々を過ごしています。
ああ、物を大事にしてえらい!と思われる方もいるかもしれないですが、私は歩くのが下手なのですぐに靴を駄目にします。ごめんなさいね、くつしたさん。おしまい




〈次回予告〉
これって貯金の話かあ、ずれとるでえ、という気もしますが次回は【短歌】か【プレゼント】について書く予定でいます。更新予定日は平日中です。平日中の縦書きはシンメトリーですね、おりまげられます、ぺたり


posted by 浜岡七十八郎 at 23:40| クアラルンプール ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

夏のスイスイマンスI浜岡かく語りき〜曲がり角を曲がる心構え〜




記憶の中で今まで曲がった曲がり角の事を何度も反芻しておりました。曲がり角には様々なものが落ちていて、その落下物の全てには様々な物語があり、曲がり角の中には曲がってはいない角もありました。
曲がってはいない角のことをここで書くと枚挙に暇がないので、曲がってはいない角のことをここに書くのは控えますが、曲がった角自体にも多くの物語がありました。(12時45分)
曲がった角に、こんな物が落ちていた!ということを書いていこうかと思っていたのですが時間が経つとその時の熱量もどこかにいってしまいました。(16時14分) 
僕は一体何が落ちていたと書きたかったのでしょうか。(16時15分)
おそらくは、お寿司とか、他にはTの下が長いのとか、そんなところでしょうか。(16時15分)
落ちていたものの羅列(?)組み合わせで、梅雨明けの日付当て籤、ツーユーで億万長者になったとされるツーユー竹田と呼ばれるまがい物人物のことや、アメリカで作られている煙草の某銘柄が梅雨の雲を作るとか適当を書きたい気持ちもあったはずです。(16時19分)
あらまあ、こんなものが落ちていた、曲がっている曲がり角にこんなものが落ちていたんだ、あら不思議。(16時20分)
まがりかど、と思っているあなた!実はこれは、まがりつの、と読むんだ!(16時21分)
色々と思いながら、私はこの曲がり角に何を書くのかを落としてしまったようです。としゃまくさいことも思ったり。(16時22分)
色々と書きましたが、長く思っていたことは、曲がり角を曲がる時の心構え、一番大事なのは、この曲がり角を曲がるんだと思うことです。(16時25分)
最後に、心に残った曲がり角を一つ書かせてもらえるならば、口という漢字の二画目だ!(16時27分)おしまい。



〈次回予告〉
次回は、【貯金】か【ドラマ】について書かせてもらう予定でおます。更新予定日は近日です。夏もそろそろ下り坂だ、頑張れ七十八郎!(何を頑張ると言うのだ!)
posted by 浜岡七十八郎 at 18:50| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

夏のスイスイマンスH浜岡かく語りき〜バスタオルのたたみ方〜


「バスタオルをたたむ時に重要なのは、そーっとたたむことだ!!」と。




蟹がいってました。



〈次回予告〉
雨にうたれて、ヒョエーー!と小走りですが次回は【曲がり角を曲がる心構え】か【梅雨明けについて】について書く予定です。通り雨には気をつけましょう
posted by 浜岡七十八郎 at 18:26| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏のスイスイマンスG浜岡かく語りき〜眼鏡の中の中〜


未来からやってきた友人が朝に寝ぼけて私の眼鏡をかけて、「贅沢な眼鏡だな」と言った。
「贅沢?」と私が聞くと、未来では眼球に対する飛蚊症の要領で、レンズに好きな画像を飛蚊させることのできる〈眼鏡の中(これをレンズということにしましょう!)の中あり眼鏡〉というのが販売されていて、スタンダードなものでは〈苺〉や〈お星様〉、これらは眼鏡をかけると、それらの画像が見られて気分が高揚する仕掛け。
中には別料金のオーダーメイド承りのお店にて、自分の好きな言葉を外国人の刺青のように飛蚊させ己を常に鼓舞させたり、好きなアイドルを飛蚊させて鼻の下を伸ばしたり、煙草を一本飛蚊させて、禁煙を目指しながらあからさまな逆効果を招いたり、というような眼鏡の台頭もあるそうな。
次第にとある企業が自分の社名とか会社のロゴマークを飛蚊させた眼鏡を販売、というよりも広告料の兼ね合いで無料賞与に近い形をとり、オーダーメイドの飛蚊画像にも企業の広告を一部つけて、料金を多少引き下げるということがみられるようになるそうな。
更には、画像だった飛蚊が動画にも変わっていき眼鏡の料金も割高になる、「眼鏡の中(レンズということにしておこう!)の中の画像がとても綺麗になったことで眼鏡の値段も高くなったんだ」と、未来からきた友人は不満をもらす。友人は現代の携帯電話とかで言うと、いらない機能とかはいらないから安い料金にしてほしいけれどそんな電話なかなかないんや!とこぼす私と似ている。似ているものが友となる。なるほど。
高い料金をどうにか抑えるために、視界の八割を企業のロゴが覆ったり、苺が実っていく早送り映像が10秒に対して企業のマジモノコマーシャルが50秒流れたりする。
画像!画像!企業!企業!映像!映像!広告!広告!企業!


「眼鏡をかけた人はみんなおかしくなってしまってね、未来の低視力の人達にとって一番の贅沢眼鏡は……」

「贅沢眼鏡は…?」

「そう!何の飛蚊もしない令和現在のプレーン眼鏡なんだ!」
と言って友人は私に私の眼鏡を返してくれました。おしまい。




“おしまいと言いながら”

〈眼鏡の中の中〉かあ、と思いながら日々過ごしていて、中の中を縦読みしてくっつけると串だなあ、ビール飲みてえなあ、なんても思いながら、ぽちぽちと液晶を触って落ち込んでいたら、学生時代に読んだ筒井康隆の「にぎやかな未来」を丸パクリして書いてみようと思いましたが、なかなかうまくいくものでないですね。ああ、筆ぢからよ。
私は時に本を読んでる人の雰囲気を出すことがあるのですが、実のところ年に二三冊しか読まないし、作品というのを複数冊読んでいる作家さんも少ないながら筒井さんは四五冊読んだ覚えがあるので好きな作家さんの一人だ!と言っても過言ではないと思います。
と、昨年は村上春樹先生の『海辺のカフカ』と『1Q84』を読んだのですが、なるほど、どちらもとても面白かったです。おしまい





〈次回予告〉
八月もあと十日ほどですが、次回は【夏の思い出】か【バスタオルのたたみ方】についてスイスイする予定です。更新日は未定です。雨が降って湿度が高い時ほど水分をとるようにしましょう。

posted by 浜岡七十八郎 at 00:37| クアラルンプール ☁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月18日

夏のスイスイマンスF浜岡かく語りき〜かえるのうたが〜

青森を目指す私に多くの困難が起こったことは割愛するが、この中で一番の困惑はヒッチハイクで乗せてもらった親切さんに人見知りを出し最後には…こんなことなら歩いた方がまだましだった…と窮屈を感じたことだが、その罪は明らかにこちらにあり書くことを拒みたいところ。私は青森に降り立った。青森とくれば行ってみたいのは三沢にあるという寺山修司記念館というところと太宰治関連のどのかだ!と思ったけれども今は日が暮れていてなかなかどうだか。その詳細を何かしらで調べて行った風に書こうかという気持ちもふつと泡立ち始めるけれども何となくそんな気分も起こらずにバス停のベンチに座っていました。何分か、何時間か経ちました。こういう時は眠りこけてしまい起きたら、または、起こされたら異世界に突入しているというのが相場な気もしますが、実のところそんなことは起こらずに前に書いた猫の何とか一族も、どうやらカマキリのハッタリだったように思いもす。ハッタリカマキリだったのだ!このご時世にもハッタリカマキリは生きているもので困っているところ私は一軒の農家さんに声をかけられて一晩泊めてもらえることになりました。ここでの心暖まるふれあいと、その御返しに多量の汗を流したことも割愛。人生の多くのところは割愛されていきます。 
何年か私は青森でモロヘイヤを育てることになり、その農家さんには一人のまだ喋り出せる頃の子供がいて不思議なことに私に少しだけなつきます。子供は私に夜な夜な絵本を持ってきて読むようにせがみます。ある日はこの絵本。またの日はこの絵本。そして今日は『みてみて!』という本で、これは子供が自然の色々を手にもってそれが写真に収められている本なのだけど、ヤスデとかとんぼとか、死んでしまったヒミズとかを子供が手に持ちます。
画面には手の中身がアップになります。その本を読みながら、途中で泥からあがってくる蛙をすくっているページがあって、ここに来ると、かーえーるーのーうーたーがー、と手を布団について足をぴょんぴょんと跳ねるというのが不自然の決まりとなりました。
 (多分だけど、)ストーリーとかがある本ではないからページはぱらぱら飛ばして、たんぽぽの綿毛のページ、こちらも手で摘まんで、ふぅーーっと息を吐いて天井を見上げると子供も上を見上げて、その隙にページを蛙にもどして、「あ!また、蛙だ! かーえーるーのー……」と歌うと、お互いにまた足をぴょこぴょこはねて息を切らし、シカの糞のページでは、きたないきたない!と糞をはらってはらって、はらいながらページを蛙にもどして「きたないきたない!あ!また!蛙だ!! ふうー、 かーえーるーのー…… 」と歌って足をぴょこぴょこあげて疲労も困憊となりながら体力も咽力も次第に尽きていき、このループを何回繰り返すのだろうか、かーえーるーのー、うーたーがー、きーこーえーてーくーるーよー、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、げろ、げろ、げろ、げろ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ!気づけば私は中華料理屋の店前に置いてある甕の中に水を張って飼われている白色の魚となっておりました。 
私のルーツとは一体、何だったのだろうか。ぽろりぽろりと落ちた鱗にはどんな絵柄があったのでしょうか、解らずじまいでございますが随分とよくわからないところまで来ましたがここで育児〜青森編〜も完結としまして、前編後編に分かれました育児編にも〈完!〉の判子を付かせていただけたらと思うところでございます。おしまい 



 〈次回予告〉
 明日はスペシャルGUこと札幌記念もありますが、次回は【眼鏡の中の中】か、【好きな作家】にのどちらかについて書かせてもらえたらなと思っとるところでございます。よくあることですが、だ。である。語尾と、です。ます。語尾を混同してしまう悪い癖は永遠に抜けんのでしょうかと思うところです。
posted by 浜岡七十八郎 at 01:15| クアラルンプール ☁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

夏のスイスイマンス〜浜岡かく語りきE忘れられないこと〜

 
眠っていると暗闇の天井から一本の銀糸が光沢をまばゆかせながらするうと下りてきてそこには一匹の蜘蛛かと思いながらよく見ると蛸であって脚の本数は近いながら膨らみの胴体はあらずさらによく見ると蛸特有の滑り気というのがあからさまに欠如していて脚は錆び付いた金属か、胴体はマッドな質感、色はシルバー即ちこの蛸はメタル蛸であって海に住んでいる蛸ではなく熱湯につけても真っ赤には変色しない、びびびと静かに音を立て水没するだけでただそれだけのものだ、では何故この蛸がこの室内にすっと落ちてきたのかこの平成の終わり頃にとふと部屋に置かれたポトスを眺めるけれどそこまで鑑賞に耐えられる代物であるわけじゃない、しばらくして電話が音を立てて震えます。私は受話器の上がったボタンを押して、蛸についたコンセントに充電器を差したのか、または抜いたのか。こういう局面ではいつだって蛸、烏賊だったためしがなく蛸ばかり、たこたこ、烏賊は屋根裏でニキビに悩み、また吸盤についたもずくをはがします。
忘れられないことと覚えていることは少し違うもので、また当たり前な話、個人的なことに違いないので、何を書いたらいいのかしばらく考えていましたら電話が壊れました、あらまあ。

ここまで書いて読み返して思ったことは自分、メタルなんとか好きすぎ。というのと何書いてんのかわからんで、しかし。と言うところですが、視覚的な何かと、印象的な言葉が組み合わさると忘れられないことになりやすいのかなあと思ったりしますね。おしまい。




〈次回予告〉
次回は【眼鏡の中の中】か【好きな作家】について書かさていただくか、どうにか一周出来たので浜岡思う違うテーマで書くかの両睨み+チャクラ睨み付けの3択で検討中でございます。
更新予定日は亀歩きでのんびりとやってまいれたらなと思っています。
皆様もよいお盆をお過ごしくださいませ。
posted by 浜岡七十八郎 at 23:35| クアラルンプール ☁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月10日

夏のスイスイマンスD浜岡かく語りき〜性格〜


私の性格はどんなのだろうかと言うと、まずは決断力がある。さらには向上心もある。弱きを助け強きに立ち向かう親切心は勿論。顔面はハンサム。肝臓の数値も許容範囲内。たっぱは高過ぎず低すぎず、鼻も高過ぎず低すぎず。時には失敗するところもご愛嬌。優しさの塊でもあり、頭は切れ、頼り甲斐があり、胸板は厚く、背筋は一本にぴしっ、と言うよりはびしぃぃぃっっっ!!!と伸びていて、字は読みやすく、思い遣りがある。
と、いうのが私の性格である。
自己評価で言うとこうなのだけど、なかなか自分自身を正当に評価できる人間は少ない。そこで私は、私と仲の良い気心の知れた四人の仲間を四ツ谷にある老舗割烹に招き、浜岡について語らうささやかな座談会を開催した。以下その記録。




・浜岡はどんな性格なのですか?

A氏「グワァ・グワァ……。グワァ・グワァ……。」
B氏「ポッ。ポッポッポッポッ。」
A氏「……。ンガァ。…。ンガァ。」
B氏「……(何度も頷く。)」
C氏「ジーーーーーーー。ガチャ!ジーーーーーーー。」
B氏「ポーッ、ポッポポッ。ブルッブルッ。ポッポポッポポッ。」
A氏「……。ゲー。ゲー。グワァ!グワァ!」
B氏「…。ポーッ。ポーッ。」
A氏「(頬っぺたに空気を溜める動作)……(笑)。」
B氏「(何度も頷く。)ポポポ。」
D氏「………。」
B氏「…。」
A氏「………。」
B氏「……。」
A氏「(目をキョロキョロさせながら頬っぺたを膨らます。)」
B氏「ポー。………………………。ポッポ。」
C氏「ジーーーーーーー。ガチャ!ジーーーーーーー。」
B氏「……。ポッポッポッポッ。ポッポポッ。…………。ポポー!」
D氏「…。」
B氏「ポポポポポー!」
D氏「……。」
B氏「……。」
D氏「…。」
B氏「………。」
A氏「…………。」
B氏「…ポ。……。」
浜岡「……。」
B氏「…。」
A氏「………。(頬っぺたを膨らませる)…。」


こうして座談会は幕を閉じるに至る。
わかったこと、わからなかったこと色々とある。浜岡がどんな性格なのか、それは分からなかった。
しかし、人生とはそんなものなんじゃないだろうか。そんなこともある




〈次回予告〉
次回は「忘れられないこと」について書く予定でいます。更新日は未定ですが、筆のスピードが少しずつカメ歩きとなっていますので、ここらで気を引き締めたく思います。ちなみに座談会のC氏は自動でA面とB面を再生し続けてくれる昔のカセットテープでした!!!(でした!!!と言われても。)

posted by 浜岡七十八郎 at 02:46| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月06日

夏のスイスイマンスC浜岡かく語りき〜育児〜


多くの人が信じるに信じられない真実に他ならないのだけど、事実僕にだって子供時代というのがあり赤子時代の浜岡も存在した、即ち浜岡自身も“育児”をしてもらい成“”長を遂げた赤坊だったのである。
そこで、浜岡がどのような”育児”を受けてこのような人格を持つに至ったのかを、詳細に書いていこうと思いながら、なかなか不思議、一つも思い出せないのである。
いつ頃からの記憶は満ち満ちているのだけれど、というようなことを書くのは野暮だからしないけど0才とか1才の記憶はバクに食べられてしもたんか。
実母実父に尋ねれば、あなたは、こうで、これこれで、あんなことがあって、と教えてくれるかもしれないが、この際に、ああ浜岡はそんな育児を受けていたのかぁ、なんてこぼしたら、浜岡?はい?何言うてマンネン?となること受けあいで、なかなか尋ねられぬ。
ならばと、私は幼き七十八郎の写真を一枚引き剥がし、故郷への夜行便に飛び乗った。
早朝から、船、軽トラックの荷台、回転木馬、落ちていた棒を杖にして徒歩などを経由して生まれ育ちの団地に到着。
写真片手に、この子供のことを知っている人を探していますと昼の2時から2時15分まで懸命に聞き回る。それ以外の時間は、朝も昼も夜も、地元老舗本屋の店前に2機だけ置かれている格闘ゲームに熱中する。紙のお金が金属のお金にかわり重みを増す。まだだ、まだ、いける。お金は減っていき、子供時代の私を知る手がかりとなる情報は皆無と言っても他ならない。
やがて持ち金も底をつきかけて、残りのお金で半額になっている食パンを買うか、もう一度だけ最後のボスに挑むか悩み耽っている時に100円玉をぽとりと落としてしまいゲーム機の下を覗きこんだ。

そこには一匹のカマキリがちょうどカマで硬貨を挟み、硬貨は垂直に押さえられていた。
「大きくなったな、七十八郎」
「え?どうして僕の名前を?」
「昔、カマキリの卵を持って帰って押し入れに入れたまま忘れてしまい、その卵がある日孵化して家中が赤ちゃんカマキリだらけになったことが、なかったか?」
「あ、まりました!!まさか、あなたは」
「そうだ、その時の生き残りカマキリだ。と言ってもわしらはそんなにも長生きはせん。その末裔だ」
「ま、末裔」
「そうだ」
「僕がどんな赤子だったか、どんな育児を受けさせてもらっていたのか知っていますか?」
「ふむ、わしはそこまでは知らない。しかし、あの頃あの近くに住んでいた猫、土門どら猫無銭紋ブチ一族に聞いてみたら教えてくれるかもしれない、今はその子供たちがここにいるはずだ」
と言ってカマキリはカマに器用に唾液をつけて落ちていたレシートの紙屑に住所を書きました。

「青森。」
私は、ごくん。と唾を飲み込みました。

そして歩を北の方角へ向けました。




《一時中断》
・書いていたら随分と長くなってしまったので私は一度ここで筆を置くことにしました。〈育児〜青森編〜〉を書くかどうかは未定です。
書くことになりましたら是非ともご贔屓によろしくお願いします。


〈次回予告〉
次回は【性格】について書く予定です。
更新は暑い日のいつかを予定しています。皆様も暑い日にはお気をつけくださいませ。

posted by 浜岡七十八郎 at 16:21| クアラルンプール ☁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月03日

夏のスイスイマンスB浜岡かく語りき〜夏の日のいいこと〜


昔読んだ何かの本で、詩人の谷川俊太郎さんが、一番好きな季節を夏と書いていて、その理由に色々な生き物の生命、生命力がパッと芽吹いていくからだ、正確な文言は忘れているのだけれど、なるほどそんな風に季節を感じられるのだなあと番茶をすすりながら、自分などは子供の頃に同じ質問、好きな季節は?というのを問われた時に、冬だ!と考えていたことがある。なぜか?と聞かれたら、冬には蜂が休んでいる。その他の季節は蜂が活動している。蜂に刺されると痛いので蜂がいない冬がいい、と答えたことがある。何だその理由は!と共に、子供の頃はよく外で遊んだなあ。今は外では遊ばんなあ、と思い、時代としても、少し前の気温とは違うから外で遊ぶべからず!暑すぎる場合は!という厳戒令も敷かれ、僕が子どもの頃の夏とは違うものとなっているのが今の夏に違いない。

万人のものではなくて個人的な体験になってしまうのだけれど、夏の日のいいこと、何かあるかな、あったかなと考えていたら少し前に派遣型のアルバイトをしていた時のことを思い出しまして、そこは勤務先を選べるタイプの派遣型、何となく求人冊子をめくっていたら【勤務地】雲上。というのがありました。うんじょう?  標高の高くて雲を見下ろせるペンションか?お土産屋さんか?、その時には有り余る程の時間もありましたので、応募してみまして、指定の駅前で待っていましたら、責任者のGさんという人が、やあ君か、ちょっとこっちへいらっしゃいと駅の裏側にあるエレベーター。責任者のGさんが鍵穴にかぎを差してはダイヤルをぐるぐる几帳面に時計を秒ではかりながら、あと7秒したら、この豆腐をふたつに割って両手で持ちながら乗ってくれ!と言いました。私はぽかんとしながら言われた通りに、絹かい、と思いながらエレベーターに乗りまして降りたのは事実に雲の上。これがうんじょうかあ。ほうぅ。
上には植西さんという、随分くたびれたおじさんがおりまして、「お、待ってたよ、君が浜岡くんか」とか、「なかなか一人では回らなくなってきてね、さっさっ、その豆腐をここに置きなさい」とか、「えっと、英語とスペイン語が話せるんだっけ」とかってまくし立ててきては「いえいえ日本語だけです」と答えると、「そうか。大丈夫だよ、日本語しか使わないから」と言われ大丈夫かなと思った記憶。そこでどんな仕事をしていたのかというのは契約で口外出来ないことになっているのでここでは伏せるけれど、夏の日のとある日に、雲の上は直射日光がきびしいなあと思いながら内輪をぱたぱた、故郷は名古屋の都心部にある100メートル道路を見下ろしていました。
植西さんは後ろの方でココアシガレットくらいの大きさの水圧で輪投げをする玩具で遊んでいて、私もうとうとと睡魔に襲われかけた時に手で持っていた内輪を雲の下に危うく落としそうになってしまい、おっとっとっと空中で拾いあげた時に、ポロロロンという音がしたのです。
これがどういう事だったのかと説明すると、名古屋の100メートル道路の往来には何人か日傘をさしている人がいて、その米粒くらいの人たちを私は一瞬内輪で撫でてしまい、それがオルゴールの原理で、ポ・ロ・ロ・ロンと奏でられていたのです。
私は一時停止ボタンを押して、往来の人の動きを止めて、またゆっくりと内輪で100メートルの往来を撫でてみました。
ポ・ロ・ロ・ロ・ロン・ロ・ロン。ロ・ロ・ロ・ロ・ロン・ロ・ロンとメロディーが奏でられました。すると後ろで水圧輪投げをしていた植西さんが「あ、『田園』だな」と、首だけこっちを見て言いました。私はもう一度ゆっくりと内輪で往来の人を撫でました。生・き・て・い・く・んだ ・・そ・れ・で・い・い・んだ・と聴こえました。そして、その後も、ビル・に・飲み・込・まれ・・街・に・はじ・か・れて・・・と旋律は続いていきます。
「いい歌だよなぁ『田園』。『田園』聴くとやってやるぞー!って気になるんだよなぁ」と言いながら植西さんは水圧輪投げをしています。
確かに僕も『田園』は好きだなあと思いながら、やってやるぞー!という気持ちにまではならないのですが、夏の日のいいことを一つあげるなら、その時に聴いた『田園』なのかもしれないなあと思ったものです。聴きました。はい。




〈次回予告〉

なぜにこんな長文を書いているのだろうか、かつ、一体誰が読むというのか、と疑問を抱きながら、次回は【育児】について書かせてもらう予定です。更新日は未定です。よろしくお願いいたします。
posted by 浜岡七十八郎 at 03:15| クアラルンプール ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月01日

夏のスイスイマンスA浜岡かく語りき〜古き良きものについて〜


古き良きものなんぞや、と思いながら日々を過ごしておりましたら夢を見ました。
それは僕が原動機付自転車には乗れるけれど普通自動車には乗れない、いわば思春期と呼ばれる時代に、とある友人がその父親から地元にあるとても小さなレンタルビデオ店の会員カードを借りたのか、もしくは、うまい事くすねてきたのか、とにかく父親会員カードを手に入れて、鼻血が出るほど驚くにはそのレンタルビデオ店はなんと無人のレンタルビデオ店、店内には無人ビデオ貸し出し機なる、飲料の自動販売機を幾分太らせたような機械、カードをスキャンして、選んだビデオの空箱の番号か何かを入れるのだったか、バーコードみたいなのがあったのか、そこのところの記憶は曖昧なのだけれども、夜な夜な僕らは鞄を一つ携えて、友人の父親の成人会員カードを使いましては、ベートーヴェンが髪の毛をくるくると巻いているドキュメントやイルカが右・左・右・左と首を横に振る映画、漢字の山という字が時計回りに360度、反時計回りに360度回転し続けるアニメ。などを借りては、その賛否を語り合った。その時代の夢でした。

うそつけ!そんなビデオ借りるわけないだろ!暖簾くぐったんやろ!と問い詰められても私は諸手を上げて首を左右に、山を180度回転させては、暖簾もええし、無人ビデオ貸し出し機もええもんや、どちらも古き良きものやな。
それにまつわる記憶が残るのならば、とかって思うのですが。現代、あの無人ビデオ貸し出し機はどうなっとんやろか。あの空箱に収まるサイズの小物などを無人で売っとるんやろか。どないなんやろか。


もっと未来になれば、色々な時間が短縮されていき、こんな風にぽつぽつと文字を打つことや、何て回りくどいんだと思いながら文字を読むことも、なくなって。
頭からピッ!となって文字がモコモコ膨れあがり、または、ピッ!となって頭に直接言葉が入って、その時には誤字とかも、にょろにょろ(ママ)みたいにもなったりするのかな、したらば、未来においては、こんなふに間違いだらけの文章を書くことも、また読むことも、読ませることは少し駄目なのだけれど、未来の自分にとったらば、この日記も古き良きものになるんかいなあ、とも思った夜です。おしまい



〈次回予告〉

次回は【夏の日のいいこと】について書きます。更新予定日は近日中です。一度頭に管をつけて、えいっ!とする予定はないですがお楽しみに!

posted by 浜岡七十八郎 at 02:22| クアラルンプール ☁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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