多くの人が信じるに信じられない真実に他ならないのだけど、事実僕にだって子供時代というのがあり赤子時代の浜岡も存在した、即ち浜岡自身も“育児”をしてもらい成“”長を遂げた赤坊だったのである。
そこで、浜岡がどのような”育児”を受けてこのような人格を持つに至ったのかを、詳細に書いていこうと思いながら、なかなか不思議、一つも思い出せないのである。
いつ頃からの記憶は満ち満ちているのだけれど、というようなことを書くのは野暮だからしないけど0才とか1才の記憶はバクに食べられてしもたんか。
実母実父に尋ねれば、あなたは、こうで、これこれで、あんなことがあって、と教えてくれるかもしれないが、この際に、ああ浜岡はそんな育児を受けていたのかぁ、なんてこぼしたら、浜岡?はい?何言うてマンネン?となること受けあいで、なかなか尋ねられぬ。
ならばと、私は幼き七十八郎の写真を一枚引き剥がし、故郷への夜行便に飛び乗った。
早朝から、船、軽トラックの荷台、回転木馬、落ちていた棒を杖にして徒歩などを経由して生まれ育ちの団地に到着。
写真片手に、この子供のことを知っている人を探していますと昼の2時から2時15分まで懸命に聞き回る。それ以外の時間は、朝も昼も夜も、地元老舗本屋の店前に2機だけ置かれている格闘ゲームに熱中する。紙のお金が金属のお金にかわり重みを増す。まだだ、まだ、いける。お金は減っていき、子供時代の私を知る手がかりとなる情報は皆無と言っても他ならない。
やがて持ち金も底をつきかけて、残りのお金で半額になっている食パンを買うか、もう一度だけ最後のボスに挑むか悩み耽っている時に100円玉をぽとりと落としてしまいゲーム機の下を覗きこんだ。
そこには一匹のカマキリがちょうどカマで硬貨を挟み、硬貨は垂直に押さえられていた。
「大きくなったな、七十八郎」
「え?どうして僕の名前を?」
「昔、カマキリの卵を持って帰って押し入れに入れたまま忘れてしまい、その卵がある日孵化して家中が赤ちゃんカマキリだらけになったことが、なかったか?」
「あ、まりました!!まさか、あなたは」
「そうだ、その時の生き残りカマキリだ。と言ってもわしらはそんなにも長生きはせん。その末裔だ」
「ま、末裔」
「そうだ」
「僕がどんな赤子だったか、どんな育児を受けさせてもらっていたのか知っていますか?」
「ふむ、わしはそこまでは知らない。しかし、あの頃あの近くに住んでいた猫、土門どら猫無銭紋ブチ一族に聞いてみたら教えてくれるかもしれない、今はその子供たちがここにいるはずだ」
と言ってカマキリはカマに器用に唾液をつけて落ちていたレシートの紙屑に住所を書きました。
「青森。」
私は、ごくん。と唾を飲み込みました。
そして歩を北の方角へ向けました。
《一時中断》
・書いていたら随分と長くなってしまったので私は一度ここで筆を置くことにしました。〈育児〜青森編〜〉を書くかどうかは未定です。
書くことになりましたら是非ともご贔屓によろしくお願いします。
〈次回予告〉
次回は【性格】について書く予定です。
更新は暑い日のいつかを予定しています。皆様も暑い日にはお気をつけくださいませ。
posted by 浜岡七十八郎 at 16:21| クアラルンプール ☁|
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日記
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