気になると言えばカブトガニだ。
カブトガニは何なんだ。と、思いながら成人式を迎え(出てないけど)三十路となりながら、いまだカブトガニの本質が何なのか気付いてはいない。調べてもいない。
俳句の世界では五七五そこから、短歌は七七と続く、七!そして五は強い世界だからその文字数が五のカブトガニはなかなかに使い勝手のよい言葉に違いない。季語こそいつになるのか分からないし(調べてもいないし)、カブトガニが、どれ程の、それら、に、登場しているのかは私は知らない(調べてもいない)が五文字の歌や何かの部分の五文字をカブトガニに変えて読んでみては、どうだろうかと夜毎夜毎に思う。
ブルーハーツの月の爆撃機であるのなら、手がかりになるのは薄いカブトガニ、だ。私の頭の中ではこのバージョンが大流行だ。カブトガニ。
だからと言ってカブトガニが、そこまで偉大なのかと、なるのであれば私は疑問を呈したい。カブトガニはそこまで偉大なのか?
まずは人間にどれほどの貢献をしているのか分からない(調べてもいない)し、カブトガニがどんなのかも実際に見たことない(本当はあるはずだけれど記憶に残ってない)その、言葉の強さこそカブトガニの強さなのだ!と言う気がしないでもない。
というと言葉を作ったのは人間であって、カブトガニの偉さは全て人間の手柄、という考えを浮かべる。人間が偉い!人間大好き!人間の万歳!!
いやいや、となる人もいるだろう(それはカブトガニ側からだけの目線でなくても)。人間はそんなに偉いのか。前に人間にどれほどの貢献をしているのか、と書いたが、自分は人間だけど、人間がそんなに偉そうにしてはいけない、とは、とても思っている。またカブトガニも、同じようにそんなに、偉そうにはしてはいけない、地球もそんなに偉そうにはしてはいけない、ハムは少しだけ偉そうにしてもいい、カブトガニと人間はいけない、カブトガニは濁点が間間に入っているところがよいけれど、これも言葉のゆえだし、カブトガニは自分がカブトガニだなんて思ってはいない。自分たちのことをぎょうざと呼んでいるかもしれないし、オイスターソースと呼んでいるかもしれない。カブトガニは見たことない(あると思うけど覚
えてない)。食べられるのかどいかも知らない(調べてもない)し、食べられるよ、と言われても別に食べないでもいい。カニをそんなに食べないでもいい。カニは剥くのが面倒なのと、汁が垂れてくるのがよくない。カブトガニは、それよりも食べないでもいい。カブトガニを剥きたくもないし、カブトガニから汁が垂れてほしくはない。カブトガニはカブトガニとして立派に生きて欲しいと思う。カブトガニを逆から読むとニガトブカ。これも、何かいそうな名前だとも思う。ニガトブカも別に食べないでもいい。逆にしないでもいい。
posted by 浜岡七十八郎 at 23:00| クアラルンプール ☁|
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