はじまり〜石狩八郎の強さ
昆−どうもこんにちは。
石黒−ご無沙汰しています。それ以後、首の状態はどうですか?
昆−まずまずですね。ふいに痛む時もあるんですが回らないという程ではありませんし。まあ私もかつては俎々を齧っていたことの証明だと思って受け止めていますよ。
醍醐−昭和の名士が齧っていただなんて良く言いますよ。何度畳に倒されたことか。
昆−いやいや。
編集部−後ほど遅れて、石狩めとさんも来てくださいます。今日は久しぶりの再会ということで当時の話などを詳しく聞かせていただけたらと思っております。
石黒−よろしくお願いします。
昆−それより、お酒は頼んでも大丈夫です?
編集部−どうぞどうぞ。
昆−では、ビールをお願いします。すみませんね、家では女房が目を見張っていて飲ませてくれないんです(笑)
石黒−それは厳しいですね。では私もビールを。泡を多めでお願いします。
醍醐−私は車で来てしまったのでカルピスでお願いします。ではまずは乾杯からですね。
編集部−当時の俎々は黎明期でした。鎌倉時代に発祥し、細い糸を手繰りに手繰り競技としてようやく確立した時代ですね。俎々の競技人口は関東を中心に750人ほど。1961年に第一回の金剛崔君が開催されました。ここで今でも現役の、そして今では名人と謳われている石狩八郎さんが優勝を果たします。その時に決勝戦で敗れたのが昆さんでしたが。
昆−ええ。広島県のお座敷でしたね。もう八郎さんたら強いのなんのって(笑)。あの時の八郎さんの目は今でも思い出しますね。
編集部−その時の資料は残ってはいないのですが、どういった手を打ち合ったのか、お聞きしてもいいですか?
昆−はい。まず1順目の先行は私でした。まず私は相手の動向を観察することにしました。八郎さんは面濠は鮫皮の上質なもの、衣は金の登り鯉でしたね。足のこは、履いてはいませんでした。白い花の匂いが少ししていて、そこから絶え間なく殺気が出ている。
醍醐−八郎さんの殺気は独特ですよね。絶え間なく出ているんだけど…
昆−そう。薄い。でも非常に気持ちが悪くて落ち着かない。1順目では呼名しか出来なかった。
石黒−はあ。
昆−そうしたら後攻の八郎さんは、「しめじ泣かせ」かな。ちょっと崩れた感じの。そのあとで時間一杯に「ふきころし」を。頭を使う人だからね。この難解な組み合わせで、私の頭には「?」が点ったの。なんなら失敗したと思った。「あんた終わったな」って気持ちが半分、「いやそんなはずはない」って気持ちもまだ半分はあったんだけど、少しニタリと笑みを溢したのを覚えています。
石黒−いきなりの「しめじ泣かせ」は誤手だと思ってもしょうがないですよね。
昆−ええ。
醍醐−となると2順目の先行も昆さんになりますよね、それでいて「しめじ泣かせ」と来たら、やはり「鉄鍋」ですか?
昆−いや。「釣銅鍋」を出しましたね。
石黒−おお。それもなかなか。
醍醐−考えた一手ですね。
昆−ええ。ほとんど感覚なんですが「鉄鍋」では不安な気がしたんです。というよりもそんな安易なことなのかという疑問です。じゃんけんで言うと、ここで勝とうというよりは一度あいこにして相手の顔を観察したかった。
醍醐−なるほど。
昆−悔やまれるのは「ふきころし」の時間が少ししかなかったことですね。残り15秒で4回でした。技術面の問題です。
石黒−いやいや、残された短時間で4回もころしているんですから、凄いことですよ。
編集部−現代でも15秒で4回はなかなかころせませんよね。
昆−いやいや。そう言ってもらえるのはありがたいんですがね。その後攻の八郎さんの番手で「さかした」をされました。これには食わされましたね。それであっけなく負けてしまいました。
醍醐−へえ。
石黒−「松格子」じゃなかったんですか?
昆−「さかした」でしたね。でも後に聞いたんですが、この頃に八郎さんはもう「松格子」は完璧に会得していたんです。私が「さかした」を堪えて、「ころし」なり「押収」をしていたら、その後には「松格子」の準備もあったみたいです。でも私は「さかした」で、もう畳倒れでしたから。だから違う解釈では私は2順目で4回しかころせなかったから「さかした」で済んだということもあるんですよ。もし6回ころしていたら「松」があったかもしれない訳です。
編集部−昆さんのそれ以後の名人との対戦成績は公式のものでも0勝7敗となっていますね。
昆−ええ。一度も勝ったことがない。非公式なものを含めると19回負けています。
醍醐−そんなにも。
昆−ええ。
石黒−私も名人には勝ったことがありません。でも1987年のモロッコの対岸座敷の4回戦継承戦は、もしかしたらと思うところもありました。
昆−あれは惜しかったですね。
石黒−ええ。
編集部−俎々は身体的なハンデキャップが頗る大きい競技ですよね。石黒さんはまさに俎々をやるために生まれたような体格ですよね。もう肘なんてバリバリで。
石黒−ありがとうございます。
石狩みとさん登場
みと−遅くなりまして。こんばんは。
石黒−ご無沙汰しています。
昆−大きくなりましたね。
みと−あ、昆さん。顔が真っ赤じゃないですか。僕ももう20ですからね。やっとお酒が飲めるようになりました。
昆−ああ、じゃあ飲みなさい。どうぞどうぞ。すみません、瓶ビールをもう一本お願いします。
醍醐−昆さんが飲んじゃって飲んじゃって。
みと−本当ですね。大丈夫なんですか?
石黒−久しぶりのお酒みたいですからね。いやあだんだん名人にも似てきましたね。
みと−そうですか?初めて言われました。
石黒−ええ。
女流名人薗原怜の話
昆−実は八郎さんの5軒隣りの家に薗原さんが住んでいたんです。
石黒−それは知らなかった!じゃあ子供の頃の薗原さんが八郎さんと遭遇している可能性も?
みと−なくはないでしょうね。名人は派手な人で、日常的にも金鯱柄の衣を羽織っていました。そこら辺では目立つ人だったみたいです。
石黒−それはロマンチックな話ですね。
私生活の石狩八郎
醍醐−八郎さんは家では厳格な人だったんですか?
めと−それはもう。小学校の時に算数のテストで30点を取ったことがあるんですよ。それを怒られると思って隠していたんです。
編集部−子供ではよくありそうなことですね。
めと−はい。それが名人にばれてしまって。「30点はしょうがない。でもそれを隠すのは駄目だ。と。」
石黒−へえ。
めと−それから「松格子」です。まさか家で「松格子」をされるだなんて(笑)
昆−それは凄い。
めと−そうなんです。私は、石狩八郎に可愛がってもらったことは無いように思います。おじいちゃんと呼んだことも一度もありません。ずっと昔から「名人」と、そう呼ばされていました。祖母なんかは「デック」と呼んでいましたし。私の母だけは少し砕けた人だから、はーちゃんと呼んでいましたが、これは本当に例外でほとんどの人が「名人」です。でも「松格子」のことは今となってはなんですが、もしかしたら名人は、私に直接身をもって「松格子」を教えたかったんじゃないかなと思うんです。名人の技を幼少の頃から何度も食っているから、そんじゃそこらの「松格子」では容易く隙を見つけることが出来ます。本当に。今思えばあれは英才教育だったんですよ。
赤城剛の強さを振り返る
編集部−それではここらでVTRを再生しようと思います。1988年6月の竜神武茸・長野大会の決勝です。みとさんに言われたものです。
みと−すみません。お願いします。
昆−あ、赤城さん。
石黒−赤城さんですね。
昆−あそこで、右目を一瞬だけ火元に移してますね。これが非常に上手い。八木さんも、ここで上体が起きてしまって、そこからもう後手後手ですものね。
めと−はい。ただ、ここでもう一つ見てもらいたいところがあるんです。50秒のところに戻してください。
編集部−はい。戻しました。
めと−私も三ヶ月前に、たまたまこのVTRを見てて気付いたんですけど、ここで赤城さんの「ふきころし」がありますね。
醍醐−はい。ここでの「ふきころし」はまずまずオーソドックスな一手ですね。
昆−そう思います。
石黒−それにしても綺麗な形ですね。
めと−綺麗です。今でもこんなに綺麗にふきころす人はいないでしょうね。それで、この右手を見てください。
醍醐−右手?
めと−はい、ここで左を出して、右…
石黒−あっ!
昆−何か握っていますね。
めと−そうなんです。これ、50円玉なんですよ。
醍醐−本当だ。全然気付かなかった。でもこんなラフなプレー、一発樹海の危険もありますよね。
めと−ええ。でもご存知の通りすっぴんです。しかも、現代まで未発見だった世紀のすっぴんと言ってもよいです。
昆−この時に主審は誰です?
めと−柄本さんです。
昆−柄本さんか。柄本さんが見逃すのであれば、もう赤城さんを褒めるしかないですね。なるほど、この時点でもう勝負がついていたようなものですね。
石黒−さすが鬼の赤城。非情ですね。
めと−赤城さんは、一回一回の勝負に真剣な人でしたからね。そこは徹底的です。それ以後に相手の競技生命を絶たせようという所まで視野に入れている。この人にとって、俎々は決してスポーツではないんですよ。
醍醐−あ、八木さんも八木の十八手と呼ばれる「ぢょうがい」を出しましたね。
めと−はい。ただ赤城さんはもう、もろともしない。これを流して勝負ありです。
醍醐−わあ凄い。ただただ赤城さんの強さだけが際立ちますね。
道具について
昆−今醍醐さんは面濠は何を使っているんです?
醍醐−パルスレックですね。平成の9年くらいまでは鮫皮を使っていたんですが、まあこれも時代の流れでしょうかね。衣もその頃から、イラン製に変えました。ブグドブフ社の物を愛用しています。少しほつれ易いところもあるんですが、清一のものよりだいぶ軽く出来ています。
めと−ブグドブフ社の物は良品が多いですよね。昔はペルシャ絨毯を織っていた機械を使っているみたいですね。それで非常に艶やか。若い頃の薗原さんなんかが着ていたら、さぞ似合ったことでしょうね。
石黒−薗原さんはスタイルもいいし、俎々の社会的な人気も上がっていたかもしれない。惜しいことをしましたね。
めと−当時のものを身体をすっぽりと隠すという旧態の風潮がありましたからね。色も黒とか紺とか
醍醐−そう地味でね。
昆−ええ。
編集部−めとさんの面濠は?
めと−私もパルスレックです。練習ではパルスレックモックも使いますが、本番ではパルスレックですね。学生の頃は匂いだけでもと、鮫のコロンをふっていたんですが、それもね、止めてしまって。
石黒−へえ、なんでです?
めと−犬が吠えるんですよ。
昆−ああ。
めと−これは究極の二者選択でしたね。武者精神を取るか愛犬を取るか、私は犬をとっちゃった(笑)でも後悔はしていませんよ。かと言って、犬の気持ちは離れたままで未だになついてくれない。
(新宿・の料亭「えでぼで」にて2010年6月9日)