<読み切り盤ずいん筆クイズ>
・次の中に一つだけ私が書いていない小文章があります。それがどれかというのを当てるクイズです。
【さあどれかな】
@腹が立ったら「むしゃくしゃする」と言いますが、何か、食べてるみたいですね。
A納豆の一粒を食べないで、置いておくと、乾燥して、小動物の糞のようになります。指でさわると臭いです。
Bモテる男は、8割方、意外に近くに住んでいた女性に向かい「糸電話でも会話できる距離」というに違いない、と思っています。
C発芽発芽発芽と書くと、なんとなく発と芽が兄弟みたいに見えてくるのは、私だけかしら。
Dわたしは只今、こんなことを思いました。こんなことを書いてもいいかなあ。だめかなあ。それはね、目くそをMEXOって書く。鼻くそを、HANAXOって書く。ってそんなことなんだ。
E椎茸の父は椎の木ではなくて椎茸の母親が椎の木なのでしょう。茸は竹じゃあないけれど、竹の子のご両親が誰なのか、と、考えたら、これはなかなかむずか椎!
(原文ママ)
この文章が書かれたのは、ちょうど40年前の今日。
1972年2月21日のこと。昭和十大事件の中で、三億円事件と同様に未だに多くの謎を残しながら、未解決のままとなっている、浜岡七十五太郎失踪事件のプロローグだった。
当時、私書版ブログをやっていたのは日本人の約6%に過ぎなかった。その時出回っていたブログ藁半紙は、現在の言葉で言う、アクセスこと、読者の手から手に渡り、途中で複写などもされながら、その一つの記事を読んでいたのは約20人ほどの読者であったそうだ。
少数の人間にとってのひとかどの娯楽とされていた、この昭和ブログ文化は、その少数さ故に、強固な支持を示し、このようなクイズが出題された暁には、読者たちは仕事もほっぽり出し、寝る間も惜しみ、その謎を解いた。そして手渡しから発生した横との繋がりは、早解きの競争を激化させ、熱中のあまりに命を落とす読者まで現れたというのが、当時の新聞の記事にも記されている。
政府がクイズ粛正を唱える中、まるでそれを嘲笑うかのように出題された、<読み切り盤ずいん筆クイズ>と称される、なんだか気の抜けたタイトルのブログ。しかし、そこに油断をした読者は、この程度ならと勢い良く鉛筆を研ぎながら、筆者である浜岡七十五太郎の癖、過去の文章との文体比較、そして、浜岡の思想から家族構成までを、再び総ざらいにざらいあげ、その一つ一つの真偽に眉を潜めていた。
半ば諦めかけて、これか!とあてずっぽうにて答えを選択する者。一つの論理から、他の五つを消去する者。が現れ始めた。しかし、これぞ!という、答え答えした答えが世間に広がることは無かった。皆迷っていた。
今まで、これ程センセーションを巻き起こしたブログクイズがあっただろうか。当初20人であった、読者から問題の複写は流出し、それを求める人が増え、複写が複写を呼び、人が人を呼び、延べ3000万人の人間が食事にも手を出さずクイズを解こうとした。
その一週間後に、事態が急変を見せることになろうとは、誰も知る由もなかった。
1972年2月28日。当時出回った藁半紙ブログのタイトルは、このように綴られていた。
「謝罪文」と。
以下は、貴重なその全文である。
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「謝罪文」
今日は皆様に謝らねばならないことがある。前回の記事、6つの文章から私が書いていないものを選別する<読み切り盤ずいん筆クイズ>のことだ。
この中に他人の書いた、文章は、ない。
全部、私が書いたものだ。本当に申し訳なく思っている。
社会の反応が、まさか、これほどまでに大きくなろうとは思ってはいなかった。
深く反省する。と、ともに、もう二度と、クイズなどに手を染めることはしないと固く約束をしたい。
浜岡七十五太郎
(原文ママ)
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〔所蔵・町田区民民族博物館〕
この、「謝罪文」は、その時6000万人にまで膨れ上がっていた<読み切り盤ずいん筆クイズ>解答者に多大なダメージを与えた。解答者は勿論のこと関係のない人間を合わせた7000万人が暴徒と化したという。中には石鹸を投げる老婆という、身の毛もよだつ事件も起こった。しかし、この暴徒たちは、浜岡七十五太郎を血祭りすることは出来なかった。否、本当のところ誰一人として、浜岡七十五太郎の実像を知らなかったのだ。写真のようなものも一枚もない。どこかから、ふとブログわら半紙が湧いて出るだけで、誰一人として、浜岡七十五太郎がどのような顔をしているのか知らなかったのだ。
もしかしたら、暴徒と化しながら、なぜか連隊で秩序正しく町を破壊する、その先導で旗をふり拳を振り回す男、紀谷剛太郎が浜岡七十五太郎であったかもしれない。クイズ粛正を訴えた、当時の内閣副大臣、山中克己が浜岡七十五太郎であったのかもしれない。全ては藪の中、さらにその闇の中での出来事であった。
しかしながら、たった一日のうちに暴徒たちは町を破壊し、豆腐を投げ捨て、土を掘った。皆、気が気でなかった。彼らの青春は帰ってこなかった。
しかし、その翌日事態はさらなる急展開を迎える。
1972年2月29日。閏年特有の異様な時間の経過に国民は気だるさを感じていた。
ただただ眺めるテレビジョンからは昨夜の暴動で何匹の犬が鎖を壊され逃げ出した。や、そのうちの何匹が無事に保護された。や、逃げ出した犬が弥生時代の土器を咥えて帰ってきた、などの犬関連のニュースばかり。現在、寺嶌田大学で教鞭を振るう、精神科医の松田武彦教授は、この日のニュースに対し「人間に忠実であるとされる、犬を放送することで、民衆に対して国家への忠誠心を植えつけるとともに、かわいいわんちゃんを見せて心を落ち着かせたいという狙いがあったのでは」との見解を示している。事実、その放送が始まってから、民衆の瞳には今まで通りの黒目が戻ってきたというのは、改めて書く必要のある事項であろう。
そんな、かわいいわんちゃんがボールの上に乗っかろうとして、転げてしまうシーンを見ていると、突如、緊急中継の記者会見が始まったのだ。
「あの謝罪文は私が書いたものではありません」その人物は鋭い眼光を持ってこう言った。そして、画面にはその人物に対して、浜岡七十五太郎という白字のテロップが入っていた。
国民は驚いた。何故か? それが見たことも無いほどの漆黒の色をした黒人女性だったからである。
「あれは私が書いたものではないのです」浜岡は非常に流暢な日本語でこう訴えた。
「あのクイズには確実に精確な解答があるのです。」ざわつく報道陣。
だったらその答えを早く教えろ!とひどい剣幕で捲くし立てる記者もちらほら。
しかし浜岡は凛として、答えない。そして窓に目をやり、青空をしばらく眺めて、ふとこう漏らした。
「まるで揺り篭の中ね」
その後、しばらくしてトイレにと席を立った浜岡はこつ然と姿を消した。それから、再び浜岡の姿を見たものはいない。誰も、いない。
これが、昭和十大事件に名を連ねる「浜岡七十五太郎失踪事件」である。
事件の深みはもはやクイズのレベルのものではなくなってしまった。こんな深淵見たことが無い。あ、初めて深淵を使ったぞという国民たちの声が響いた。
最後に残した言葉「まるで揺り篭の中ね」という言葉に謎が隠されているのではないかと考えるマスコミが、その線を洗いに洗ったが進展は見られなかった。
そんな中、記者会見場で門番をしていた男、原徹が異様な証言をし始めた。
原は言った「オラウータンが子供のペンギンを抱えて門から出て行くのを見た」と。
この発言は物議を醸した。「どこにオラウータンのうろつく公施設があるんだ!」「そもそも、その門を守るのが仕事じゃないのか!?」という声が上がった。確かに、本来ならば、原は門を塞ぐのが仕事である。しかし、その時、原は門から約5メートル離れた木陰で、ピクニックのイチゴ味を飲んでいたのだ。門をよじ登るオラウータンを見ながら屁をこいて鼻歌を歌っていた、と言う。
信憑性のかけらも無い、原には非難の声が向けられた。と、同時に原の挙動がおかしい、と、ある記者が気付いた。
検査の結果、原は熱狂的な麻薬中毒者であったことが発覚した。
このことから原は、門の番人から、門の中の住人になったのである。
今では「オラウータンが子供のペンギンを抱えて門から出て行くのを見た」という彼のセリフを覚えている人物など、どこにもいないだろう。
浜岡七十五太郎が失踪してから一月が過ぎようとしていた。事件は風化していった。
国民の大半も浜岡七十五太郎のクイズに我を忘れて挑みかかっていたことを、ぼんやりと忘れかけていた。さらに一月が過ぎると浜岡七十五太郎が失踪したという事に対しても、人々は記憶を失っていった。こうして、浜岡は本当に、足跡を失うことになった。
かつてのわら半紙ブログ読者の20人のみが、浜岡七十五太郎失踪の謎に未だ挑みかかっていた。
読者のうちのひとり、鉄川ひとみは、<読み切り盤ずいん筆クイズ>の中にこそ、そのヒントとなるものがあるに違いないと考えていた。「糸電話」「発芽」「HANAXO」気になるワードはあるにはあった。しかし、そのどれも有効な手がかりにはならなかった。
鉄川は今でもこの難問に挑みかかっている。
クイズを解くことによって浜岡の居場所が分かるかもしれない。
浜岡の居場所が分かればクイズのヒントがもらえるかもしれない。
鉄川は言う。
「かつての読者は今となっては、私を含めて6人にまで減りました。もしかしたら浜岡も、もうこの世からも、姿を消してしまっているかもしれません。でも、もうそんなことはどうだっていいの。これは私たち6人のルーチンワークなのよ!わんわん!」
おしまい。
長くなってしまいましたが、読んでくださった皆様どうもありがとうございます。
さてここで問題です。
浜岡七十五太郎はどこにいるでしょうか?浜岡七十五太郎の正体はいかに?分かったら何かあげます。
ちなみに最初の六つは全部私が書きましたので、それは問題ではありません