よく言われていることですが、言葉というのは色々な意味が重なり合ったものの隆起であります。
例えば、「おはよう」のばやいですと「おは」=「おはぐろ」の「おは」、「よ」=「ヨーロッパ」の「よ」、「う」=「うどん」の「う」のように全ての言葉に意味があるのじゃね。
同様「さようなら」のばやい、「さ」=「サイレントディーレ」の「さ」、「よ」=「ヨイチサウス」の「よ」、「う」=「うどん」の「う」、「なら」=「奈良県」の「なら」というのは小学四年生の理科の授業で習うことじゃね。
その一学年前、花の小学三年生(の君、勉強しなさい!)では、「金縛り」を習いました。「か」は何の「か」か色々諸説がありますが、今では「カバ」の「か」というのが定説で、「な」は「なぞなぞ」の「な」、「縛り」は歌姫美空ひばりさんの「ひばり」が訛って「縛り」になったのじゃね。
小学生にあがるまえの幼稚園保育園で教えてくれるかのは「ネックレス」じゃね。「ネ」は「ねこ」の「ネ」、ちっちゃい「ツ」は「ナベツネ」の「ツ」、「クレス」はクリス松村さんの「クリス」が訛って「クレス」。
赤児が初めて喋る言葉と言ったら大体、「ドラゴンアッシュ」ですが、「ド」は「ドブネズミ」の「ド」、「ラ」は「とら」の「ラ」、「ゴ」は「コブラ」の「コ」が濁って「ゴ」、「ン」は「パン」の「ン」、「ア」は「アーリーロブスト」の「ア」、ちっちゃい「ツ」は「ナベツネ」の「ツ」、「シ」は「シシリアトマト」の「シ」、ちっちゃい「ユ」は「湯沢屋」の「ユ」じゃね。
一方逆におじいさんの口癖として多いのが、「こんばんは」。この「こ」は「子ども」の「こ」おじいさんも昔は「子ども」だったというのが何やら暗示的。「ん」は「ハンサム」の「ん」、「ば」は「バイク」の「ば」で、「ん」は「ハンサム」の「ん」、「は」は「恥じらい」の「は」。
しかし同じグッドナイトでも、「こんばんわ」のばやいは少し意味合いが変わるというのが日本語の難しいところ。
「こ」は「コブラ」の「こ」、人は一度はコブラ対マングースの闘いを見るべきだというメッセージが何やら暗示的。「ん」は「ハンサム」の「ん」。「ば」は「バイク」の「ば」。「ん」は「ハンサム」の「ん」。「わ」は「ワンダーボーイ」の「わ」になるのじゃね。
一方普通に差し込んでは見ましたが、「グッドナイト」の「グ」は「ぐいーん」の「グ」、ちっちゃい「ツ」は「ナベツネ」の「ツ」、「ド」は「窓」の「ド」、「ナイ」は「アル」の反対の意味で「ナイ」、「ト」は「とかげ」の「ト」というのを私はポーランドの友人から聞いたじゃね。あの時の彼の瞳は燃えていたね。
ちなみに「瞳」の「ひ」は「ヒップ」の「ひ」、「と」は「友達」の「と」素敵な言葉じゃね。素敵な言葉じゃ。
そんな「ともだち」の「と」は「トンネル」の「と」。「もだち」は漫画家あだち充さんの「あだち」が中国に行った際に「もだち」に変わったという説が濃厚。
意味合いがとても意外な言葉と言ったらなんと言っても「コシヒカリ」。「コ」は「米」の「コ」。「シ」は「白熊」の「シ」。「ヒ」は「広島県」の「ヒ」。「カリ」は「カレー」のいい発音Ver.の「カリー」から「カリ」。
逆にとても妥当だと思われていりのが「スプーン」。「ス」は調味料の「酢」。「プーン」はバイクの走る音「ブーン」が丸みを帯びて「プーン」に。
「フォーク」は、「二日酔い」の「フ」から始まって、ちっちゃい「オ」は「大きい」の「オ」。「ー」は「チーズ」の「ー」。「ク」は「熊」の「ク」。
これが「お箸」になるとみなさまも学生時代の青き若き濃き暑きと寒きのじぶんに火災訓練で習ったのでは?
「お」は「オリビエ・ペリエ」の「オ」。「は」は「はす向かい」の「は」。「し」は「渋谷」の「し」じゃね。
ここらへんで、その「じゃね」って何ジャネ?と面白い駄洒落が頭に張り付いて離れなくなってしまったあなた!
「じゃね」の前に、「駄洒落」というのがまた風流なこと!
「駄」は「ダイナマイトバディ」の「駄」。「酒」は「ジャイアントバディ」の「酒」。「落」は「歴史的ダイナマイトバディ」の「落」。
おっと焦らして失礼を、そう怒らない怒らない。
「じゃね」の「じ」は「自動車」の「じ」。ちっちゃい「や」は「闇市」の「や」。「ね」は「ネブカドネザル」の「ね」。
ちなみに私の一番好きな言葉「県境」の「県」は「天然パーマ」の「天」が訛って「県」となったのはあまりしられていない事実。「境」は「あしたのジョー」の「ジョー」が「ビョー」→「ソョー」→「ギョー」→「ミョー」→「ソー」→「モー」→「ボー」→「ゴー」→「ゾー」→「ソー」→「フォーー」→「フォー」→「フォ」→「フ」→「フォーーー」→「フォーー」→「フォー」→「フォ」→「フ」→「フ」→「フ」→「フォー」→「フォーーーー」→「フォ」→「フォ」→「キョー」と変化してから「境」となったというのはきっと明日のテストには出んじゃろから安心なさい予備校生の君。
そうかこのブログを参考書の代わりにしてゆるばやいの生徒さんもいるというのが私の頭から抜けていた、失礼失礼月謝どろになってしまうどこじゃたね許してね。
比較的に私立で出やすいのは「きつね」。ここは受験前にもう一度目を通してもらうとよいかも。「きつね」の「き」は「キングカズ」の「き」。「つ」は勿論「津軽のリンゴ」の「つ」。「ね」は「粘土人形」の「ね」!と答えた君、これは受験生がよく間違えるミス。ここで差がつくと言っても過言じゃない。「ね」は「ねえちゃん」の「ね」。覚えてなかった人はアンダーラインを。マーカーで。
国公立を狙う君には、四年前に実際にセンター試験で出た言葉「おつまみのなとり」をおさらい。「おつまみのなとり」の「おつ」は「お疲れ様です」の「おつ」。「まみ」は「熊谷真実」さんの「まみ」。「の」は「のし」の「の」。「な」は不明で「と」は「トライ」の「と」。「り」は「アメリカ」の「り」。
時に人名も意味を帯びたりするばやいもあります。例えば私の名前「島鬼貞夫」も「シマウマ」の「島」。「鬼」は「君の瞳に恋してる」の「君」の「鬼」。「貞」は「さだめ」。夫の「夫」の字は「鬼」の「夫」。だから僕の名前を繋げて言っつみたら「シマウマ君の瞳に恋してるさだめ鬼」という意味。親の愛情がひしひしと伝わります。
ただ「シマウマ君の瞳に恋してるさだめ鬼」の意味をさらに調べてみたところとんでもない事実が隠されていて私はさぶいぼが治まらない。
「シマウマ君の瞳に恋してるさだめ鬼」の「シ」は「差し将棋」の「シ」。「マウマ」は赤ちゃんがご飯を食べている擬音語。「君」はここでは「きみ」ではなくて「くん」と読みますがこの「くん」は「バイク」を勢いよく発音した時に「バイクン!」と言ってしまったインドの僧が語源で今では「クン!」の部分が残って「くん」。「の」は「のし」の「の」。「瞳」は「バイクン!」のインドの僧の6人目の妻の名前。鼻筋がスッと通って綺麗な髪をしていたとか。「に」は「荷馬車」の「に」。「恋してる」はポルトガルからやってきた言葉か? 「さ」は「サラダ」の「さ」。「だめ」は「めだか」を「かだめ〜」と言っていたティーネジャーの言葉が広まって「か」と「〜」が取れて「だめ」。「鬼」は「鬼強い」「鬼臭い」の「鬼」であるとヘプスブルク大学の教授が2014にロンドンでのシンポで発表。
これを読み返すのは、君の力にはならないからやめておくが、さぶいぼが治まらないは治まらない。
治まらないので今日は寝るとする