あまり知られていないのですが(というのも発表などしておりませんですのでというのもあるのですが)僕の手はすごく大きいのですよ。どれくらいって? 少し想像してみてください。ほう。なるほど。ええ、ええ。
今あなたの想像した私の手、小さいです。そんなもんじゃありません。流れ石にその倍、とまでは言いませんが1.9倍はある。と断言が出来ます。はい。その大きさは、私が小学三年生の頃の大きさです。あなどるな!!失礼。語気を荒げてしまいました、手の大きい私のやることじゃありませんでした。
言ってみたら私のその手の大きさは幼い頃からの一つの特長で幼稚園時代の私の渾名はビッグハンドちゃんでした。愛知県内の公立小学校に進学しても私の大きな手を超える大きな手の児童は存在しませんでした。ここいらで私は、その大き過ぎる手(それは赤の他人から見れば恵まれ過ぎているものに違いないのだが)を持ち得た事に対する限りない焦躁と苦悩に駆られ、理科室の何個のビーカーが粉へと化したか数えることが出来ません。そんなこともありましょう?
当時の私の手は、日本百手に数えられ、その流線形のフォルムは西日本在住のセオドア・バコフに並ぶ流線と讃えられ、その男らしさは、香川うどん打ち職人、うどんうちお氏にも勝るとも劣らない、そのささくれ立った中指からは醤油で炒めた香ばしいキャベツの匂い辛くて慚愧に耐えられないという風評も流れた。
くまでで遊ぶな。と担任には叱られた。勿論私はその時くまでなどで遊んではいなかった。今思えば、私より手の小さいその男性教師は私(の大きな手)に、嫉妬していたのだろう。
手の大きさ故に進学の道を断たれた私は、とある企業からヘッドハンティングされた。もしかしたらそれはハンドハン…とも思ったが、そんな野暮な事を、この手の大きな私が言うはずもない。私は働いた。(手の大きな)私の働きは(手の大きな)私に、巨大な富と名声をもたらした。
しかし、その富と名声も私の掌には小さ過ぎたと言っても過言ではないかもしれない。と後の将軍の小笠原氏は語っている。小笠原の手もまあまあ大きい。小笠原の息子の手もまあまあ大きい。その息子の手も楽しみだ。
さてさて、昨日「ライジングオレンジ」いらしていただきました方方、チケット御予約していただいた方方どうもありがとうございました。ありがとうございます。なかなか暑かったですね。
私は帰って食塩水を何杯か飲みました。ナトリウム。
posted by 浜岡七十八郎 at 09:20| クアラルンプール ☔|
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